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130年以上前から製造される三ツ矢サイダーとは?

三ツ矢サイダーとは皆さん子供のころから知っている炭酸系飲料水でしょうね

 

今にして記憶をたどれば昔からある清涼飲料水
それもそのはず、130年以前から製造されている..とのことで私が生まれる?
いやそれ以前から存在していたのですから...

 

 

そんなことで三ツ矢サイダーとは現在市場で販売されている清涼飲料水では老舗のブランド商品と
位置付けられています

 

古く歴史のある三ツ矢サイダーは、最古の清涼飲料水か?
現存する銘柄でいえば確かに最古参といえるでしょう

 

しかし、歴史をひもといてみれば最古のサイダーとしての系列は受け継いでいる事実もある

 

日本で最初に製造販売されたサイダーは、1868年横浜の外国人居留地でノース&レー商会が
製造販売したシャンペン・サイダーと言われているが、在留外国人専用、もしくは日本人でも
飲用できたが上流階級や特権階級の層に限られており一般市場に現れることはなかった

 

以降、瓶に王冠でふたをすることで衛生上の長期保管が可能になり以降、本格的に流通した
サイダーの元祖は、1899年、横浜扇町の秋元己之助が興した金線サイダー

 

だが、当初の銘柄は日の出鶴、1889年に改称

 

なお、1897年から1899年頃発売の岐阜県養老郡養老町の養老サイダーも一部で日本初のサイダー
として紹介されています

 

 

いまも現存する同種の飲料、ラムネは、ほぼ同じ内容の飲料を、王冠無しの瓶に詰めて
販売されたものだ

 

 

サイダーの名称由来

 

秋元己之助ノース&レー商会に勤める友人、西村甚作よりの提言で炭酸水にリンゴのフレーバーを
付けた
しかし、シャンペン・サイダーの命名にはパイナップルとリンゴのフレーバーを使用している
理由がある

 

リンゴのフレーバーのみであれば語源を変えなければならないことになるが理由でシャンペン名を
外したサイダーという商品名とした..

 

 

三ツ矢サイダーへの系譜

 

金線サイダーは1915年に横浜蓬莱町に金線飲料株式会社を設立するが、1925年に
日本麦酒鑛泉株式会社に合併されたことで、金線サイダーと三ツ矢サイダーは兄弟銘柄となる

 

その後三ツ矢サイダーのみが残されたため、三ツ矢サイダーは日本初のサイダーの歴史を
受け継いでいる商品と理解される

 

以降大日本麦酒合併後、三ツ矢サイダーに統合される形で製造が打ち切られる
ここが金線サイダーから三ツ矢サイダーへの系譜ですね

 

日本麦酒鑛泉 参照 
1921年根津嘉一郎が経営する加富登麦酒(カブトビール。愛知県半田市)が帝国鉱泉
(三ツ矢シャンペンサイダー)と日本製壜(山本為三郎創業の製ビン会社)を合併して成立
1925年横浜の金線飲料を合併
ユニオンビールを主力商品とし、カブトビール、三ツ矢シャンペンサイダー、金線サイダーを
製造販売していた
特に大日本麦酒とは激しい販売競争を繰り広げたが、1933年に大日本麦酒に合併

 

 


 

歴史

 

三ツ矢サイダーの始まりは?

 

明治時代に宮内省が兵庫県多田村平野(現在の川西市平野3-23-1)の平野鉱泉を用いて炭酸水の
御料工場を建てた...ここを起源とする

 

以降、工場は三菱に払い下げられ、明治屋が権利を得て、1884年に三ツ矢平野水
(みつやひらのすい)商品名で販売が始まる

 

三ツ矢平野水は夏目漱石の行人、や思い出す事などにも登場した
1897年には皇太子時代の大正天皇の御料品に採用

 

1907年に帝国礦泉株式会社(経営者・平賀敏)が設立され、従来の平野水を元に、砂糖を
煮詰めたカラメルや、イギリスから輸入したサイダーフレーバーを加えた
三ツ矢印 平野シャンペンサイダーが発売された
1909年に三ツ矢シャンペンサイダーに名称が変えられた

 

帝国礦泉株式会社は、1922年、加富登麦酒、日本製壜と合併して日本麦酒鑛泉株式会社
ユニオンビール (根津嘉一郎経営)となる
1933年、大日本麦酒株式会社(アサヒビール・サッポロビール・ヱビスビールを製造販売 
三井財閥系)に合併されたが、三ツ矢サイダーはユニオンビールと共に引き続き製造販売された

 

1949年、大日本麦酒株式会社はGHQが指示した過度経済力集中排除法による会社分割により
朝日麦酒株式会社(現在のアサヒグループホールディングス株式会社)と日本麦酒株式会社
(現在のサッポロホールディングス株式会社)に分割
三ツ矢サイダーはユニオンビールと共に朝日麦酒が継承し、戦前までのアサヒビール・
リボンシトロンの組み合わせから、お馴染みのアサヒビール・三ツ矢サイダーの組み合わせに
代わった

 

1952年に人工甘味料から砂糖に切り替えて「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」へ改称したが、
シャンパンの名称はシャンパーニュ地方で生産された物以外には使えないということになり、
1968年にシャンパン名を外し三ツ矢サイダーへ改称した

 

1967年には柑橘系香味の透明炭酸飲料三ツ矢レモラを発売
1970年には200mlの入り瓶を発売、1971年には透明炭酸飲料では業界初の缶入りを発売、
1972年には紙ラベルの商品を廃止、1973年には姉妹品として三ツ矢フルーツソーダを発売

 

この頃の容器はビールビンを細くしたような形をしており、水色のビンに紙ラベルが貼られていた
この時代の瓶は使用後に地方の中小企業に流れ、現在でも使われている
後に、紡錘を細長くしたような形状に変わり、ラベルの代わりに水色の文字、マークが印刷された

 

 

1984年の発売100周年を機に、缶やペットボトルに書かれている
MITSUYA CIDER が現在の書体となり、同時に文字の色も青に変更され、以降、何度か
パッケージの変更はあったものの、現在に至っている

 

1995年までは「Asahi」ロゴは側面部分に「by Asahi」と表示していたが、1996年の
アサヒ飲料発足を機に、「MITSUYA CIDER」ロゴの上に「Asahi」ロゴが表示された

 

1988年、製造部門が分社化されてアサヒビール飲料製造株式会社となり、1996年に
販売会社のアサヒビール飲料株式会社と合併し、アサヒ飲料株式会社となる

 

2004年、香料を天然原料のものに、水を天然水100%に変え、よりすっきりした味に仕上げた
これがヒットとなり、業績不振から一転、V字回復を達成した。また、近年流行の兆しを見せる
微炭酸へ移行することもなくキリンレモンと並び強炭酸の姿勢を守り抜くなどして、根強い
ファンを持つ

 

2009年5月26日には、カロリーゼロ、糖質ゼロ、保存料ゼロの三ツ矢サイダー オールゼロを
全国で発売開始

 

カロリーゼロ、糖質ゼロの商品の発売は、同ブランド126年の歴史の中で初めてとなる
同商品はアルミ缶商品(250ml、300ml)、ペットボトル(500ml、1,500ml)の2タイプ
計4種類で展開

 

2015年3月24日のリニューアルで『三ツ矢サイダー ゼロ』に改名し、2016年3月22日の
リニューアルで三ツ矢サイダー ゼロストロングに再改名した

 

なお、平野にあった工場は後に閉鎖され、アサヒビール系列のホームセンター・サンシャイン
平野店になったが、2005年3月に閉店した
1912年に建設された大正天皇御料品製造所はこのホームセンターの
奥に現存し、三ツ矢資料館になっている。資料館はサンシャインの閉店により、
公開は中断されている

 


 

備考

 

2007年、ダイドードリンコとの共同事業で、過去の時代に販売されていた商品の
再現版 刻堂・三ツ矢サイダーが期間限定で発売された
自動販売機で販売されたことで印象が深まったと人気が出た

 

2010年には新たなデザイン採用
缶に昭和30年代のマスコットキャラクターであったインディアンの子供3人が描かれている

 

 

追加記事は後日...

 

三ツ矢サイダーとは?
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